フランスで中上健次について研究しようと思っているのです。ある人にそう打ちあけたところ、どうしてわざわざ海外でそんな古風なことをするのか、と訝しまれ、悲観されたことがあった。その人は日本の大学で日本近代文学を教えていて、ビザの関係で一時帰国中の私とたまたまキャンパスですれ違ったのだった。この日本でさえ、よほどの硬派でなければ中上健次なんてやらないのに、とその人は伏し目がちにつぶやく。1980年代ごろにはあんなに持てはやされた作家だったけれど、昭和が終わって間もないころに唐突に早死にしてしまってからは、あまり顧みられなくなってしまった。まあ、それを言ったら、いわゆる純文学というか、文壇そのものが、いまではオワコンっていうの? すっかり地方都市のシャッター街のようになってしまったけどね。それにしても、なぜいまさら中上健次を? よりによって、国外で。そう怪しまれ、なぜだろうと、私自身、答えに窮してしまった。しかし、それから八年の歳月を経た今になって、わかることがある。そのときの私はすくなくとも二つのことに関してひどく思いつめ、途方にくれていた。……